「なるようになる」
そんな考え方ができる人って、たまにいますよね。
実は、この「なるようになる」という考え方。
古代中国の有名な思想家が唱えていたって知っていましたか?
それも、現代で僕たちが使うような「なるようになる」ではなく、もっと徹底的な「なるようになる」です。
この記事では、渡辺精一さんの書かれた「諸子百家」の老子編を読んだ感想をお届けします。
1.かなり現実離れした理想ですが、僕はけっこう好きです
老子は古代中国の思想家です。
記録があまり残っていないのと、内容が乱雑しているため生きていた時代が定かではないみたいですが、およそ紀元前200~500年ぐらいの人物です。
今からおよそ2200~2500年ぐらい前の人物ということになります。
そんな昔に生きた人物の思想なんですが、これがけっこう現実離れしているものとなっています。
本書の中にある「老子」という書物の一節を引用します。
理想の国は小国寡民、国土は小さく、人口も少なく、文明の利器はあるが、使う必要はなく、人民は、生命を大切にして遠くに移り住むことがない。船や車はあるが、乗ることはなく、鎧や武器はあっても、実際に布陣して使うこともなく、人民は太古の昔のように、文字ではなく縄の結び目で意思を伝えあう程度の簡素なコミュニケーションをする。得られた食べものをうまいと思い、着られる服を美しいと思う。住む家を愛し、習俗を楽しみ、隣の国とは、お互いに眺めあえるような距離で、鶏や犬の声が聞こえるほど近くても、人民は老い、そして死ぬまで、隣国と往ききすることがないような、そういう国でありたい。
「諸子百家」渡辺精一 角川ソフィア文庫 p,125
現代ではいつまで経っても訪れなさそうな理想像ですよね。
でも、僕はこの理想がけっこう好きです。
正直言って、現代ってかなり複雑な世界だと思いませんか?
いろんな物や事、情報があふれ、あらゆる社会問題が蔓延っているのが事実です。
個人に関しても、、バイトや仕事、勉強をして毎日くたくたになる日々を送っている人も多いのではないでしょうか。
現代の生活って本当にストレスが溜まりやすいと思います。
それに比べて、老子のこの理想の世界はかなりシンプルなものになっています。
人間の欲望が必要最低限まで抑えられ、食べ物や衣服など、身近なものに幸せを感じられる世界。
そんな世界に憧れるのは僕だけじゃないはず。
2.全ての根源は「無」
老子の思想で興味深いものがあります。
それが「全ての根源は無である」という考え方です。
簡単に説明します。
みなさんは今地球という惑星に住んでいます。
そして、その地球があるのは宇宙があるおかげです。
その宇宙を生んだのがビッグバンという現象です。
じゃあそのビッグバンを生んだのは?
ビッグバンを生んだものを生んだものは?
という風に辿っていくと、あらゆる事物を生んだ「何かしらのもの」に辿り着くはずです。
その何かしらの物を「無」と名付けたのが老子です。
もちろん、そのあらゆる事物を生んだ「何かしらのもの」に名前なんてないから、呼びやすくするために「無」と名付けただけであって、それは「万物の母」とも「道」とも呼ぶことができます。
今の感覚でいうブラックホールのようなものを老子はすでに考えていたんです。
3.努力なんてしなくてもいい!?
すべての根源は「無」だと唱えた老子。
彼の思想はまだ続きます。
めったなことで何も言わないのが、自然というものだ。考えてみよ、つむじ風はたとえ吹いても、せいぜい朝のうちという程度で、にわか雨も一日中降り続きはしない。つむじ風やにわか雨を起こすのは誰か。天地である。しかし、天地とて永遠のものではない。まして、人間の一生など、どの程度の時間か。したがって、天地をも生んだ「道」に従って生きて行くのがいちばん良いのだ。
「諸子百家」渡辺精一 角川ソフィア文庫 p,113
「道(無と同じ意味)と一体化して生きる」ことを彼は説いています。
つまり、努力や作為的なことをせずに「なるがままに」生きろということです。
努力をしてもしなくても結局はなるようになるのだから、自然に身を任せて(道と一体化して)生きろと言っているわけです。
まさに「運命論」です。
みなさんはこの考え方に対してどう思いますか?
僕の意見としては、興味深い思想だとは思います。
ぶっちゃけ、何もかもを運命のせいにできたらとても楽そうじゃないですか。
でも、努力や作為的なことを何もしないで生きるというのは少し無理があるような気がするのが本音です。
だって、もしそんなことをしたらただの怠け者になることは間違いないです。
さらに、「怠け者になってしまったらそれも運命なんだから仕方ない」というように人間の行いがすべて否定されて、なにもかもが運命、運命になってしまいます。
4.老子の哲学を有効活用!
見ての通り、老子の哲学はかなり現実離れしています。
現実的に考えて、この現代で「道と一体化して生きること」は不可能に近いです。
しかし、この哲学は時と場合を考えれば十分に活用できるものだと思います。
緊張、不安、心配といったネガティブな状態の時、「自然の大きさに比べると人間なんてちっぽけな存在だな」とか、「結局はなるようになる」(これは現代でも結構使われるかも!)という風に考えてみてください。
ちょっと気持ちが楽になりませんか?
老子の哲学を常に実行するというのは現実的ではないですが、こんな風に時と場合を考えれば十分に日常生活に役に立つ哲学だと僕は思います。
日に日に複雑になっていく世界。
頑張りすぎて疲れがたまっている人は少し肩の力を抜いて、老子の哲学を読んでみてはいかがですか?