今回は、カミュの『異邦人』についてのあらすじと感想です。
1.カミュと『異邦人』について
まず最初に、カミュと彼の作品『異邦人』について解説していきます。
アルベール・カミュ(1913~1960)は現在のアルジェリア(当時はフランス領だった)出身の小説家です。
彼の父親はフランス人入植者で、彼が幼児の時に戦死したため不自由な子供時代を送っていたみたいです。
それでも、「リセ」と呼ばれるフランスの後期中等教育機関(日本でいう高等学校)の先生の影響で文学に目覚め、後にノーベル文学賞を受賞するほどの文豪になります。
彼がノーベル賞を受賞したのは1957年で、この受賞は『異邦人』によるところが大きいと言われています。
『異邦人』の他にも、彼の作品には『ペスト』や『シーシュポスの神話』などの有名な作品があり、機会があればまた記事にしていきたいなと思います。
2.あらすじ
主人公は、アルジェリアの首都アルジェに住む「ムルソー」という名前の青年。
ある日、彼の母を預けている養老院という施設から母の死を知らせる電報が届き、埋葬のため養老院に向かいます。
しかし、彼は母の遺体が入った棺を前にしても涙ひとつ見せず、母の前で煙草を吸う始末。
さらに、母の葬式を済ませた翌日、彼はかつての同僚のマリィという女性と海水浴場で再開して1夜を共にする。
そんなある日、ムルソーはアパートの隣人のレエモンという男性にある頼みごとをされる。
ムルソーはその依頼を受けるが、レエモンのいざこざに巻き込まれてついに人を殺害してしまう。
その事件の裁判で、動機について彼は「太陽のせい」と語る。
3.『異邦人』の感想
次元を超えた正直者「ムルソー」
本作の主人公、ムルソー。
本作を一通り読んでからでは、彼は一見サイコパスなのかと疑ってしまうほどに物語中での行動が異様でした。
しかし、違う言い方をすると彼は次元を超えて正直者なんだと思います。
例えば、母の葬式においてたとえ母のことが心底嫌いで憎たらしく思っていても人前では悲しんでいるように見せかけるのが普通だと思います。
しかし、ムルソーは母のことを愛していたと供述しているにもかかわらず悲しみの感情を抱かず、いつも通りの振る舞いをします。
また、彼が人を殺害した時もこれといった理由がなく、太陽のせいと答えるだけです。
1つ言えることは、彼はその人を殺したいという欲望は1ミリもなかったんです。
はっきり言って、殺した理由なんて彼にはないんですね。
一般的に人間は幼少期から周りからの教育などの影響を受けて人格を形成していって「これをした方がいい」「これはやってはいけない」というような社会常識を身につけていきます。
ムルソーにはそのような一般的な人が持ち合わせている道理がないため、サイコパスのように見えるんです。
しかし、ムルソーは彼の持つ素直な感情をそのまま行動に移すことができる超正直者と捉えることもできると思います。
4.本作で印象に残った言葉
健康なひとは誰でも、多少とも、愛する者の死を期待するものだ。
健康なひとは誰でも、多少とも、愛する者の死を期待するものだ。
カミュ『異邦人』 p.82 l.12
これを最初読んだときは意味が分からなかったです。
逆に意味が分かる人はいるんですかね。
これはムルソーが言った言葉なんですけど、超正直者の彼が言ったという事は人間本来の感情としてそのようなものが存在するのでしょうか。
もしそうだとするなら、「死」というものが人にとって一番幸福を感じるものになります。
まあ「死」がどういうものなのか生きているぼくたちにはわかることではないですし何とも言えないですが、とにかくぼくは愛する人には死んでほしくないです!